【お陰様で好評の内に終了いたしました。】
| 第109回企画展 「絵図からみた日光」 |
平成17年2月10日(木)〜4月6日(水)
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![]() 宝物殿館内風景 |
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日光山輪王寺の歴史
日光山輪王寺は、奈良朝の天平神護2年(766)に開かれた古刹です。開山以来、およそ1240年の長い歴史があります。平安時代の神仏習合、鎌倉・室町時代の修験(山伏)全盛を経て、江戸時代に入ると、当山第53世貫主 天海大僧正が、徳川家康公を東照大権現(東照宮)として当地にまつってから、徳川将軍家の祖廟としての日光山は、隆盛へと向かいました。やがて住職に、鎌倉時代から途絶えていた皇族の住職を迎えることになり、門跡(皇族・公卿等出身者が住職する資格をもつ寺)を称する寺院となったのです。明治の新時代を迎え、神仏分離の悲業に遭い、東照宮・二荒山神社と寺の二社一寺の現体制となりました。
平成の時代になり、日光はユネスコの世界遺産として世界に知られるようになりました。日本国内はもとより、世界各国から年間多くの観光客がこの地を訪れていますが、実は江戸時代から、徳川将軍の廟所のある日光に多くの人々がお参りしていました。三代将軍家光公によって東照宮が現在の絢爛豪華な建造物に建て替えられ、五街道の日光街道、脇街道の日光例幣使街道等が整備されれると、参詣者の数は増大します。徳川将軍が「日光社参」と称してお参りする日光に、人々は競って訪れたのです。多くの参詣者のために、案内として日光山の絵図が印刷され販売されるようになります。その後、幕末の戦火を逃れた日光は明治の新時代を迎え、人工美と自然美との融合を極めた観光地として、或いは夏の避暑地として、文化人や外国人が多く訪れるようになり、観光案内・土産物としての絵図が量産されました。
古く中世の古絵図から、江戸時代、明治時代の観光案内として絵図を通し、日光山内の変化の様子をご覧下さい。
| 展示品のご紹介 ※ 出陳展示什宝は、予告なく変更する場合があります。 |
![]() にっこうざんこえず 日光山古絵図(写本) 三幅対 (輪王寺蔵) |
![]() にっこうざんぜんず 日光山全図 (輪王寺蔵) |
![]() にっこうざんめいせきし 日光山名跡誌 (輪王寺蔵) |
![]() ぎょうじだん 行事壇 【伝天海所用】 (輪王寺蔵) 【重要文化財】 |
上記を含め、約60件の什宝を展示しております。 |
| コ川記念財団常設展示 |
ご あ い さ つ
〜コ川記念財団 常設展示にあたって〜
コ川宗家 第十八代当主
(財)コ川記念財団
理事長 コ 川 恒 孝
江戸幕府開府400年に当たる平成15年(2003)4月に、多くの方々から御支援を頂いて、財団法人コ川記念財団を設立いたしました。
コ川宗家(将軍家)伝来の歴史資料を保存、管理するとともに調査研究し、公開することを目的として設立した財団の常設展示を、コ川家と関係の深い日光の地でできますことは、大変喜ばしく思います。
季節ごとにテーマを決めて、日光山輪王寺宝物殿の所蔵品とともに、コ川記念財団の所蔵品を一堂に展示することで、江戸幕府にとって日光が果たした役割や意味を、改めて考えるきっかけとなれば幸いです。
| 将軍の書画 −四代家綱公・五代綱吉公− |
260余年にわたる泰平の世が維持された江戸時代、徳川幕府の施政方針の根底には伝統的儒教思想がありました。歴代将軍は教養としてこの儒教的精神を重んじ、武家の棟梁に相応しい武の修得と文の技芸を日々鍛錬して、理想的人間像・理想的社会の実現をめざしました。松平定信に「弓馬の余興」と称された、余技としての歴代将軍の書画は、正に政治の理想とすべき姿であったともいえるでしょう。
今回の展示では、コ川宗家(将軍家)に伝来する四代家綱公と五代綱吉公の筆による書画の一部をご紹介いたします。
四代家綱公の治世は、江戸の社会秩序の安定期にあたり、幕府の諸制度が整備されました。家綱公は鶏の画題を好んで描いたといわれ、多くの鶏図が伝来しています。また生類憐れみの令を発して仁政教化につとめ、儒学を重んじた五代綱吉公は、個性的な親しみやすい筆跡で、儒書に依拠する語句を多く遺しています。
ここに展示されている将軍の書画を通して、その治世に思いを馳せ、人物像の一端を感じて頂ければと思います。
| 展 示 品 目 録 |
| 家綱筆 「雄鶏図」 |
| 家綱筆 「うさぎ図」 |
| 家綱筆 「雄鶏図」 |
| 綱吉筆 「仁義禮智信」 |
| 綱吉筆 「寿老人図」 |
| 綱吉筆 「松下走馬図」 |
| 綱吉筆 「竹に雄鶏図」 |