【過去の特別展】

【お陰様で好評の内に終了いたしました】


 第112回企画展 「大猷院の荘厳」

平成17年8月6日(土)〜10月5日(水)

 日光には国宝建造物が二件あります。一つは東照宮。天下太平の世を築いた徳川家康公が東照大権現(東に照りかがやく神)として祀られています。もう一つが大猷院。徳川三代将軍家光公の廟所です。祖父家康公を敬い慕った家光公は、死して後も朝夕東照大権現様(家康公)の側にお仕えしたいという遺言の通り、大猷院殿贈正一位大相国 として東照宮の南西に葬られました。奈良時代からの霊地であった日光は、新たに徳川幕府にとっての聖地ともなりました。二つの霊廟建設に、建築・土木・工芸・漆工・彩色等あらゆる分野で当時最高の技術が投入されたことは言うまでもありません。装飾についても、意匠構成技術など飛躍的な発展を遂げ、建築彩色装飾の極地といえるでしょう。また、祖廟の壮麗を保つことは、時の為政者の誇りであり幕府権力の証しであった為、江戸時代を通して、幕府統括のもと神領配当の修理料や大名の御手伝普請により定期的或いは必要に応じて適切な修理が行われてきました。承応2年(1653)の大猷院落慶から現在までおよそ350年。明治維新により修理に携わる組織や体制も大きく変わりましたが、建築表現の特性や耐久性に応じて使い分けられた彩色技法等は、現在では、選定保存技術保存団体として国から認定されている「日光社寺文化財保存会」によって保存・伝承されています。
 荘厳とは仏語で、仏像や仏堂を美しく厳かに飾りつけることをいいます。この度、大猷院の荘厳具をはじめ、建物を荘厳する極彩色の意匠や装飾画を塗り替える際に作られた「建築彩色文様図譜」を公開します。修復に伴って製作される夥しい数の調書や彩色見取図は、極彩色された彫刻の精巧で華麗な美を伝承する為に欠かせないものです。このような記録により、日光の建造物を彩る黒漆・朱漆・漆箔などの技法、置上彩色・平彩色・生彩色による文様構成や顔料の種類等が受け継がれていきます。
 世界にも希な長期繁栄を続けた江戸時代。江戸260年の礎を築いた家康公の治世を完成させ、「我は生まれながらの将軍である」と明言した家光公を祀る大猷院の、金・黒、赤を基本色調とした暖かさの感じられる霊廟荘厳の史料をゆっくりご覧ください。



展示品のご紹介

※ 出陳展示什宝は、予告なく変更する場合があります。
   
いえやす・いえみつ・じげんだいしおみえがく
家康公・家光公・慈眼大師御影額
(輪王寺蔵)

たいゆういんけんちくさいしきもんようず
大猷院建築彩色文様図譜
(輪王寺蔵)






上記を含め、約60件の什宝を展示しております。
詳しくはお問い合せ下さい。 電話 0288−54−0531


コ川記念財団常設展示
ご あ い さ つ 

〜コ川記念財団 常設展示にあたって〜
コ川宗家 第十八代当主
(財)コ川記念財団   
理事長 コ 川 恒 孝
江戸幕府開府400年に当たる平成15年(2003)4月に、多くの方々から御支援を頂いて、財団法人コ川記念財団を設立いたしました。
 コ川宗家(将軍家)伝来の歴史資料を保存、管理するとともに調査研究し、公開することを目的として設立した財団の常設展示を、コ川家と関係の深い日光の地でできますことは、大変喜ばしく思います。
 季節ごとにテーマを決めて、日光山輪王寺宝物殿の所蔵品とともに、コ川記念財団の所蔵品を一堂に展示することで、江戸幕府にとって日光が果たした役割や意味を、改めて考えるきっかけとなれば幸いです。

 大奥の調度 
−十三代夫人天璋院と十四代夫人和宮−

  江戸時代、皇室・将軍家・大名などの間で行われた大規模な婚儀の際に調えられた婚礼道具には、三棚・三面・貝桶を始め、化粧道具・文房具・飯食器・香道具・遊戯具・楽器など、日常女性が使用する道具がほとんど含まれており、統一された意匠の壮麗な蒔絵が施されていました。
嘉永6年(1853)、ペリー提督率いる米国艦隊が浦賀に来航した直後に、家定公は十三代将軍に就任しました。内憂外患に直面する幕府は、家定公の正室が続けて二名、若くして病没したことから、安政3年(1856)、雄藩・薩摩島津家から五摂家の近衛家の養女となった篤姫(天璋院)を後室として迎えました。時勢を反映し何事も質素を旨としながらも、その婚礼道具は、黒漆塗に将軍家の葵紋と近衛家の牡丹紋が金銀で蒔絵された典雅なものでした。
 安政5年(1858)7月、生来病弱であった家定公が急死しため(享年35)、紀州徳川家より家茂公が13歳で十四代将軍として江戸城へ迎えられました。公武一和を実現するため、水面下を含めて2年以上にわたる朝幕間の交渉を経て、家茂公は文久2年(1862)孝明天皇の皇妹和宮と結婚しました。お二人は同年でこの時17歳でした。その婚儀は、幕府の威光と朝廷の権威を示すために、前代未聞の規模で実施されました。記録によれば、和宮のために江戸城内の幕府御細工所で調えられた婚礼諸道具は、技術の粋を凝らしたもので、夥しい数に上り、和宮が京都より持参した道具類もまた、京の伝統と技術を駆使して作られた最高の格式の品々でした。道中では婚礼道具を入れた巨大な荷駄を通すために、橋の欄干や門を撤去したところもあったと伝えられます。
 しかし残念ながら、その大半の道具類は、文久3年(1863)の江戸城本丸大火の際に焼失してしまいました。ここに展示した御道具は、伝来する婚礼道具のほんの一部ですが、これらを通して、その大規模な婚礼に思いを馳せ、大奥の生活の一端を感じて頂ければと思います。

展 示 品 目 録
「広蓋(黒塗葵牡丹紋散蒔絵)」 天璋院所用
「眉作箱(黒塗葵牡丹紋散蒔絵)」 天璋院所用
「鼓(黒塗桜花風車紋散蒔絵)・鼓箱(木賊図)」
「耳盥・輪台(黒塗葵葉菊紋散蒔絵)」 和宮所用
「湯煎台(朱塗)」 和宮所用
「広蓋(村梨子地葵葉菊紋散蒔絵)」 和宮所用
「茶箱(黒塗葵葉菊紋散花桐唐草蒔絵)」 和宮所用

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