| 第123回企画展 「漆工芸」 |
平成19年6月15日(金)〜平成19年8月8日(水)
漆(うるし)」は、漆の木から滲み出る樹液を掻き取って集め、水分を取り除き、かき混ぜて均質に精製したもので、古来より現在に至るまで様々な形で利用されてきました。漆の木は、日本・中国・台湾・朝鮮・タイ・ベトナム・カンボジアなど東アジアに分布しており、特に日本産の漆は良質であるといわれます。ここ日光でも、工芸品から建造物の塗料まで、多くの「漆」を見ることができます。
生漆とよばれる掻き取ったままの漆は半透明の濃い褐色で、これを濾過し、くろめ(水分を除く)、なやす(均質にする)と半透明の飴色になります。精製された漆は25度75%ほどの環境で硬化する性質があり、一度固まると非常に強く、その為、接着剤としてや塗料として用いられてきました。特に、塩分のみならず、酸・アルカリ・アルコールや薬品等にも強く、防水、防腐性にも優れ、さらに熱を伝え難いため、日頃使用する食器などに塗られその特性を生かしてきました。また、艶や色合などその美しさから装飾にも用いられ、漆技術は実用と芸術両面に発展しました。
日光は奈良時代の昔より山岳修験の霊地として開かれており、江戸時代には徳川家の祖廟として大いに繁栄した地です。現在、山内に建つ建造物の多くは江戸時代に建てられたものであり、それらは全体に漆が塗られています。また、徳川家康公を祀った東照宮や、家康公を慕って日光に葬られた家光公の廟所大猷院には、両公の遠忌法要等に、幕府や朝廷、大名等から多くの品が奉納され、漆工芸品も数多く伝えられました。蒔絵で荘厳された経箱や、葵紋を豪華に散らした仏画箱など、その美しさは300年以上の時を経て尚、衰えていません。時を越え伝えられた工芸品の中に、日本の伝統である「漆」の歴史をご覧下さい。
| 展示品のご紹介 ※ 出陳展示什宝は、予告なく変更する場合があります。 |
![]() 【重要文化財】 金銅蛭巻入峰斧 日光山輪王寺蔵 |
![]() 青貝摺経机・経箱 日光山輪王寺蔵 |
![]() 文庫『江口之君』 日光山輪王寺蔵 |
![]() 紅葉文竹蒔絵盆』 日光山輪王寺蔵 |
上記を含め、約60件の什宝を展示しております。 |
| コ川記念財団常設展示 |
ご あ い さ つ
〜コ川記念財団 常設展示にあたって〜
コ川宗家 第十八代当主
(財)コ川記念財団
理事長 コ 川 恒 孝
江戸幕府開府400年に当たる平成15年(2003)4月に、多くの方々から御支援を頂いて、財団法人コ川記念財団を設立いたしました。
コ川宗家(将軍家)伝来の歴史資料を保存、管理するとともに調査研究し、公開することを目的として設立した財団の常設展示を、コ川家と関係の深い日光の地でできますことは、大変喜ばしく思います。
季節ごとにテーマを決めて、日光山輪王寺宝物殿の所蔵品とともに、コ川記念財団の所蔵品を一堂に展示することで、江戸幕府にとって日光が果たした役割や意味を、改めて考えるきっかけとなれば幸いです。
| 家康公の文書と画像 |
家康公は天文11年(1542)12月、三河国岡崎城に松平広忠・於大の方(水野氏)の嫡男として生まれました。駿河での今川氏の人質時代を経て、戦国の世を生き、公家や豊臣諸大名とも積極的に親交を結んで人望を得ました。
天正10年(1582)本能寺の変の後、織田信長の後継となった豊臣秀吉を横目に甲斐、信濃を手中にした家康公は、天正12年(1584)、小牧・長久手の合戦で秀吉と対峙するほどの力となりました。天正18年、秀吉の命により北条氏政を滅ぼし、遂に東海の覇者となった家康公は49歳、関東に入国します。
慶長元年(1596)正二位内大臣に叙任され、秀吉の政務代行権を手中におさめた家康公は慶長3年(1598)秀吉が没するとその子秀頼を大坂城に据え、五大老筆頭として政務を掌握しました。
家康公が生涯をかけた天下取りは、慶長5年関ヶ原の合戦に勝利して、慶長8年(1603)征夷大将軍となり、江戸幕府を開き結実します。
慶長10年、家康公は将軍職を秀忠公に譲り大御所と称されるようになりますが、政治の実権はすぐに二代将軍へ移ったわけではありませんでした。その後大坂夏の陣の勝利によって豊臣氏を滅ぼし、自ら戦国の世に終止符を打ち、新たな体制と守るべき秩序として一国一城制、武家諸法度類を布くなど、260余年わたる泰平の世の礎を築いて、元和2年(1616)4月、75歳の生涯を閉じました。
今回の展覧会では、初代家康公の文書や画像を通して、天下人家康公の人物像の一端を感じていただきたいと思います。
展 示 品 目 録 紙本着彩 徳川家康対面像 紙本白描淡彩 東照大権現像 紙本白描淡彩 東照大権現像 年貢皆済状 御鷹野道中宿付 松平元康判物
長沢浄賢・源七郎宛松平浄賢・同康忠宛書状 永禄6年