【過去の企画展】

【お陰様で好評裡に終了いたしました。】


 第128回企画展 「輪王寺の絵画」

平成20年4月11日(金)6月4日(水)

 「絵師(えし)」とは、絵を描くことを専門職としていた人々です。現在のように映像・写真での記録がまだ出来なかった時代、絵はその場の出来事を伝える上で重要な役割を果たしていました。日本における絵師とは、飛鳥(あすか)時代、朝鮮や中国から画の技法を世襲(せしゅう)的に伝えていた人々に絵(画)師の姓を与え、その技能を国家の組織職務として採用した事に始まります。奈良時代には中司省(なかつかさしょう)※1)に画工司(えだくみのつかさ)が設置され、そこで仏画・壁画・地図などが作製されました。

 平安時代になると、宮廷内に画工司に代わり絵所(えどころ)が設置され、そこを預かる人を絵師(画師)と呼ぶようになりました。また、仏画(ぶつが)を専門的に描く人を絵仏師(えぶっし)と呼びましたが、天皇から命を受けて絵師が仏画を描く事もあり、きちんとした区別はなかったようです。

 徳川家康公が江戸幕府を開くと、将軍とその家族・幕府のために絵を描く公儀の絵師(御用絵師(ごようえし))が職務として設置されました。御用絵師は、城内壁画・将軍肖像画・婚礼調度制作など幕府のほぼ全体の絵事を司る奥絵師(おくえし)と、江戸城の表向きの絵事を担当する表絵師(おもてえし)に分けられていました。奥絵師は旗本(はたもと)※2)の格式をもち、城内で帯刀も許可されています。本丸に御絵部屋があり、そこに月6度出仕して仕事をしました。表絵師は出仕はせず、位も御家人(ごけにん)※3)格でした。

 御用絵師は大勢いましたが、どの絵師も世襲制で代々職務を引き継いでいます。江戸城内の職務以外に、宮中や日光に出向いて仕事を行うこともありました。その御用絵師の中でほぼ独占して奥絵師を務めたのが狩野派です。この狩野派の分家・門弟などが表絵師となり、幕末期には15家にも及びました。狩野派の他に御用絵師を務めた家系は、木村、神田、住吉派などがあります。日光において、絵仏師の木村・神田両家は、東照宮などの壁画や仏画を描いています。住吉派は大和絵系の作品を描いた絵師です。これらの御用絵師達の作品が当寺に複数保管されています。今回の展示では、御用絵師(江戸期の絵師)達を中心に、ご紹介していきたいと思います。
※1) 律令制で規定された8省ある役所の1つ。

※2) 将軍の直臣で禄高1万石未満・御目見以上(将軍に謁見する資格を有する)の者。

※3) 将軍の直臣で禄高1万石未満・御目見以下(直接将軍に謁見する資格をもたない)の者。




展示品のご紹介

※ 予告なく変更する場合があります。


金梨子地秋草虫籠絵巻「香盆」


日光山輪王寺蔵




鶯の図


日光山輪王寺蔵




【重要文化財】

「地久」

日光山輪王寺蔵


上記を含め、約60件の什宝を展示しております。
詳しくはお問い合せ下さい。

電話 0288−54−0531


コ川記念財団常設展示
ご あ い さ つ 

〜コ川記念財団 常設展示にあたって〜
コ川宗家 第十八代当主
(財)コ川記念財団   
理事長 コ 川 恒 孝
 江戸幕府開府400年に当たる平成15年(2003)4月に、多くの方々から御支援を頂いて、財団法人コ川記念財団を設立いたしました。

 コ川宗家(将軍家)伝来の歴史資料を保存、管理するとともに調査研究し、公開することを目的として設立した財団の常設展示を、コ川家と関係の深い日光の地でできますことは、大変喜ばしく思います。

 季節ごとにテーマを決めて、日光山輪王寺宝物殿の所蔵品とともに、コ川記念財団の所蔵品を一堂に展示することで、江戸幕府にとって日光が果たした役割や意味を、改めて考えるきっかけとなれば幸いです。

徳川将軍家伝来の絵画
−田安斉匡・島津忠義・久邇宮俔子−
 徳川宗家(将軍家)には、当家ゆかりの人々の筆による書画が多数伝来しています。今回はその中から、田安斉匡(なりまさ)、島津忠義(ただよし)、久邇宮俔子(くにのみやちかこ)が描いた絵画をご紹介いたします。

田安斉匡【たやすなりまさ】(1779〜1845)
田安家は八代将軍徳川吉宗の二男宗武(むねたけ)を祖とする御三卿の一つで、江戸城田安門内の屋形に居住したので田安の俗称があります。斉匡は、十一代将軍家斉の実父として幕府政治に絶大な影響力をもった、一橋家第二代当主治済(はるさだ)の五男として生まれ、後に当主が不在であった田安家に入嗣し、田安家の第三代当主となりました。以後、将軍の実弟として位階を重ね、御三卿家としては異例の従一位権大納言にまで昇任しました。晩年に三玄斎と号し、数多くの画を残しています。

島津忠義【しまづただよし】(1840〜1897)
幕末・維新期に薩摩藩主となった茂久(忠義)は、前藩主斉彬(なりあきら)の遺志を継ぎ、藩政改革に着手し、イギリスに留学生を送るなど藩の近代化につとめました。藩主在任中は、実父久光が実権を掌握していましたが、軍備を充実させ、倒幕の中心的役割を果たす基礎をつくり上げました。十三代将軍の夫人天璋院篤姫の弟、宗家十七代当主家正の夫人正子(なおこ)の父に当たります。明治2年(1869)率先して藩籍を奉還し、初代鹿児島県知事に任命され、西南戦争では中立を守りました。

久邇宮俔子【くにのみやちかこ】(1879〜1956)
久邇宮朝彦親王第三男子で久邇宮家を継承された邦彦王の妃殿下俔子(ちかこ)は島津忠義の七女で、宗家十七代徳川家正夫人正子(なおこ)の姉に当たります。邦彦王は陸軍に入り、累進して大将になり、薨去に際して元帥府に列せられました。

尚、4月19日(土)〜6月1日(日)までNHK大河ドラマ特別展「天璋院篤姫」展が大阪歴史博物館に於いて開催されます。
機会がありましたら、これらの展覧会へもお出かけ頂ければ幸いです。

                     平成20年 4月 コ 川 記 念 財 団
                       理事長 コ 川 恒 孝 

 
展 示 品 目 録
『翁舞之図』 1幅 田安斉匡
『牡丹図』 双幅 田安斉匡
『山水』 1幅 島津忠義
『雪景山水図』 1幅 島津忠義
『竹に雀図』 1幅 久邇宮俔子
『慰斗宝珠図』 1幅 久邇宮俔子

このページを閉じる