【過去の企画展】

【お陰様で好評裡に終了いたしました。】


 第132回企画展 輪王寺の宮 

平成20年10月12日(金)〜平成21年2月4日(水)

 輪王寺宮とは1654(承応(じょうおう)3)年から13代続いた皇族門跡(もんぜき)※1)の事で、出家した皇族の子息が住職となりました。ここでは輪王寺宮についてご紹介したいと思います。

 江戸初期、コ川家康公・秀忠公・家光公に宗教顧問として仕えた天海大僧正が日光山第53世貫主
(かんす)※2)となります。天海大僧正が亡くなる際、遺言の中に、後継者として皇族を迎えるという内容がありました。自分の後継者として皇子を迎え、天台宗の統括を計るという意図があったとされますが、対象となる皇子が幼少だった事で猶予が必要となり、生前それを果たすことは出来ませんでした。

 天海大僧正の遺志を受け継いで日光山第54世貫主となった公海大僧正は天海大僧正の作り上げた体制を堅持し、親王を迎える環境作りに尽力します。そして1654(承応3)年11月11日、後水尾天皇の第3皇子守澄
(しゅちょう)法親王が公海大僧正の跡を継いで日光山の住職となりました。

 1655(明暦
(めいれき)元)年11月26日、朝廷からの院宣(いんせん)により「輪王寺宮(りんのうじのみや)」の称号が与えられ、以後、法親王が輪王寺住職を勤める事となります。歴代輪王寺宮の殆どが比叡山延暦寺の天台座主に着任し、東叡山(上野寛永寺)に住していました。

 幕末、輪王寺宮として公現法親王が就任しました。しかし王政復古の大号令、戊申
(ぼしん)戦争等が起こり、1868(明治(めいじ)元)年、輪王寺宮は勅詔(ちょくしょう)により生家へ復籍、これにより輪王寺宮は断絶しました。その後も神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が日光へも及び、日光山は荒廃します。

 1875(明治8)年、明治天皇が東北御巡幸の際日光を御臨幸されます。旧観を損ねることのないようにと御手許金を下賜(かし)され、また、日光山衆徒による復興活動が実を結び、現在の景観が保持されました。


※1) 門跡(もんぜき):皇族・貴族などが出家して入室している特定の寺格の寺院・またその寺院の住職。

※2) 貫主(かんす):各宗派の総本山や諸大寺の長を指す。

門跡就任 輪王寺宮 入寂(歳)
1654年 守澄(しゅちょう)法親王 1680年(47)
1680年 天真(てんじん)法親王 1690年(17)
1690年 公辨(こうべん)法親王 1715年(48)
1715年 公寛(こうかん)法親王 1738年(42)
1738年 公遵(こうじゅん)法親王
1752年 公啓(こうけい)法親王 1772年(41)
1772年 公遵法親王(再任) 1788年(67)
1780年 公延(こうえん)法親王 1803年(42)
1791年 公澄(こうちょう)法親王 1828年(53)
1809年 舜仁(しゅんにん)法親王 1843年(55)
1843年 公紹(こうしょう)法親王 1846年(32)
1846年 慈性(じしょう)法親王 1867年(55)
1867年 公現(こうげん)法親王 1896年(49)



展示品のご紹介

※ 予告なく変更する場合があります。


























 仏眼曼陀羅
 
(ぶつげんまんだら)


 日光山輪王寺蔵


























「徳川家光公」画像 

日光山輪王寺蔵 



「風光日々新」
慈性法親王・筆

日光山輪王寺蔵

上記を含め、約60件の什宝を展示しております。
詳しくはお問い合せ下さい。

電話 0288−54−0531


コ川記念財団常設展示
ご あ い さ つ 

〜コ川記念財団 常設展示にあたって〜
コ川宗家 第十八代当主
(財)コ川記念財団   
理事長 コ 川 恒 孝
 江戸幕府開府400年に当たる平成15年(2003)4月に、多くの方々から御支援を頂いて、財団法人コ川記念財団を設立いたしました。

 コ川宗家(将軍家)伝来の歴史資料を保存、管理するとともに調査研究し、公開することを目的として設立した財団の常設展示を、コ川家と関係の深い日光の地でできますことは、大変喜ばしく思います。

 季節ごとにテーマを決めて、日光山輪王寺宝物殿の所蔵品とともに、コ川記念財団の所蔵品を一堂に展示することで、江戸幕府にとって日光が果たした役割や意味を、改めて考えるきっかけとなれば幸いです。

六代家宣の画像と書
 六代将軍家宣は、寛文2年(1662)に甲府宰相徳川綱重(三代将軍家光の次男)の長子として江戸谷中千駄木邸に生まれ、幼名を虎松といいました。綱重が正室を迎える前の誕生であったため、憚って家臣の新見正信の子として養育され、新見左近と称しましたが、同10年(1670)綱重の嗣子となり、延宝4年(1676)に元服し、従三位左近衛権中将に叙任し、綱豊と名乗りました。同6年、綱重の死後、甲府徳川家二十五万石を継承し、翌年近衛基Xの娘X子と結婚しました。

 五代将軍綱吉が嫡男徳松の早世以後嗣子に恵まれなかったため、宝永元年(1704)に叔父綱吉の養嗣子となり、江戸城西丸にに移って名を家宣と改めました。宝永6年(1709)綱吉の歿後、48歳で将軍職を継承して、甲府藩以来の側用人間部詮房や儒者新井白石などを抜擢して補佐とし、政治の刷新を図りました。施策は生類憐れみの令の廃止、儀礼の整備や勘定所の改革、武家諸法度の改訂、朝鮮使節の待遇改善、大名火消しの設置など多岐にわたりますが、在職わずか4年で逝去したため、これら政策の具体化は七代家継の時代に持ち越されました。儒教的理想主義に基づく「王道政治」を目指した六代家宣・七代家継の時代の治世は「正徳の治」と称されました。

 六代家宣が好学の人であったことは著名で、新井白石のほかにも、三宅観瀾・室鳩巣らの学者が侍講として招かれました。新井白石は甲府時代の元禄6年(1693)に仕えて以来、家宣が死去するまでの19年の間に1,299日もの進講日数を数えました。白石の手になる大名各家の歴史書『藩翰譜』は、甲府時代に家宣の命により編修され、書名は家宣が名づけたものです。
今回の展覧会では、徳川宗家に伝来した六代家宣の画像や書を通して、その人物像の一端を感じていただきたく存じます。

  平成20年12月

                           財団法人 コ 川 記 念 財 団

展 示 品 目 録


徳川家宣像

古詩色紙「今日不知」 徳川家宣筆

定家和歌「むめの花」 徳川家宣筆

和歌色紙「武蔵野は」 徳川家宣筆

和歌色紙「あらたまの」 徳川家宣筆
和歌色紙「花もまた」 徳川家宣筆














和歌短冊
「けふにあひて」
徳川家宣筆

 
(財)コ川記念財団
   http://www.tokugawa.ne.jp

   〒151-0064 東京都渋谷区上原2-35-5-203 TEL03-5790-1110・2620

 日光山輪王寺宝物殿(栃木県日光市)と久能山東照宮博物館(静岡県静岡市)の2館で、
 コ川記念財団の常設展示を行っています。

 機会がありましたら、久能山東照宮へもお出かけ下さい。


 久能山 東照宮 博物館
   http://www.toshogu.or.jp

   〒422-8011 静岡市駿河区根古屋390 TEL054-237-2437

     徳川家康の遺品や歴代将軍の甲冑などを展示しています。

   【開館時間】 午前9時〜午後5時  【休館日】 年中無休 

   【交通機関】 東名静岡または清水I.Cより日本平まで約20分
            JR静岡駅よりしずてつバス「日本平行き」

   【駐 車 場】 日本平駐車場200台を利用(無料)
           〔日本平〕よりロープウェイにて5分



   久能山東照宮博物館における コ川記念財団常設展示

     8月30日(日)〜10月27日(月)   「最後の将軍 徳川慶喜」(開催中)  

    10月28日(日)〜12月26日(金)   「天璋院篤姫と激動の幕末」


  ※展示内容・展示期間は、予告なく変更する場合があります。詳しくは電話にてお問い合せ下さい
《展覧会情報》

  【企画展】 「徳川将軍家ゆかりの女性」  会場:江戸東京博物館 6階常設展示室

          12月2日(火)〜1月25日(日)  休館日 : 12/8、12/22、12/28〜1/1、1/5

                            電話 03-3626-9974 (江戸東京博物館)


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