【お陰様で好評裡に終了いたしました。】
| 第136回企画展 絵でみる日光山 |
平成21年8月6日(木)〜10月6日(火)
平成11年(1999)12月、ここ日光山は「日光の社寺」として世界遺産に登録されました。当山の中でも東照宮(とうしょうぐう)のみが世界遺産と思われがちですが、輪王寺(りんのうじ)・大猷院(たいゆういん)・二荒山神社(ふたらさんじんしゃ)等、一山(いっさん)全体が世界遺産認定地域となっています。今回の展示では輪王寺の建造物と、その関連品を一部ではありますがご紹介致します。まず輪王寺の歴史について簡単にご説明したいと思います。
輪王寺の歴史は古く、天平神護(てんぴょうじんご)2年(766年)、勝道上人(しょうどうしょうにん)によって開山(かいざん)されました。千手観音(せんじゅかんのん)を祀(まつ)った四本龍寺(しほんりゅうじ)という草庵が輪王寺の起源です。現在、この四本龍寺跡には観音堂と三重塔が遺されています。三重塔については近年、大修復が完了し江戸時代の姿に復元されています。
嘉祥(かしょう)元年(846)、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)により、日光三山を祀(まつ)った本堂である三仏堂(さんぶつどう)、僧侶修行道場である常行堂(じょうぎょうどう)・法華堂(ほっけどう)が建てられるなど、日光山の堂塔は中禅寺もあわせ37棟を数える程に広がりをみせました。また、鎌倉・室町期には修験者(しゅげんじゃ)により入峰(にゅうぶ)修行が盛んに行われるなど、日光山は所領18万石、僧坊約500の一大霊場として全国に知られるようになりました。
戦国期に入ると、豊臣氏により領地の多くを没収され、一時は衰退(すいたい)しますが、徳川家康公が江戸幕府を開いた後は、家康公の信頼厚かった天海(てんかい)大僧正が日光山貫主(かんす)(※1)となり復興(ふっこう)活動が行われました。
家康公霊廟日光東照宮(とうしょうぐう)の建立、将軍社参、宮中・琉球(りゅうきゅう)等からの使者参拝や、庶民の霊場参詣(さんけい)など江戸期の日光は隆盛を極めました。また、天海大僧正の後江戸時代を通して、天皇家の皇子が輪王寺門跡(もんぜき)(※2)として13代に渡り日光山を総括しました。
明治4年(1871)には日光でも神仏分離令(しんぶつぶんりれい)が施行され、お寺と神社(仏と神)を分離させて考える思想が広がり、輪王寺は御堂を移転するなど日光山全体に大きな変化を余儀なくされました。これらに対し日光町民によって現状景観を保護しようとする移転運動も起こりました。明治9年(1876)、明治天皇が日光へ立ち寄られ現状をご覧になると、景観を失うことのないようにと御手元金を下賜(かし)されました。堂塔の取り壊しを免れた日光山はその景観を失うことなく現在に至ります。
この度の展示が、これから日光山を参拝・散策する皆様に少しでもご参考となれば幸いです。
※1)各宗派総本山・諸大寺の管長。
※2)法皇や法親王(ほうしんのう)などの皇族、あるいは貴族の住する寺院を門跡寺院といい、その住職を門跡・門主(もんしゅ)と呼ぶ。
日光山 輪王寺
| 展示品のご紹介 ※ 予告なく変更する場合があります。 |
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![]() 「 六十六部縁起 」 日光山輪王寺蔵 |
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![]() 舞楽面 「 二ノ舞 」(吹面) 重要文化財 日光山輪王寺蔵 |
![]() 「 鶯の図 」 (狩野探幽・筆) 日光山輪王寺蔵 |
![]() 舞楽面 「 散手 」 重要文化財 日光山輪王寺蔵 |
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![]() 「 五百羅漢彫刻念珠 」 日光山輪王寺蔵 |
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上記を含め、約60件の什宝を展示しております。 |
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| コ川記念財団常設展示 |
ご あ い さ つ
〜コ川記念財団 常設展示にあたって〜
コ川宗家 第十八代当主
(財)コ川記念財団
理事長 コ 川 恒 孝
江戸幕府開府400年に当たる平成15年(2003)4月に、多くの方々から御支援を頂いて、財団法人コ川記念財団を設立いたしました。
コ川宗家(将軍家)伝来の歴史資料を保存、管理するとともに調査研究し、公開することを目的として設立した財団の常設展示を、コ川家と関係の深い日光の地でできますことは、大変喜ばしく思います。
季節ごとにテーマを決めて、日光山輪王寺宝物殿の所蔵品とともに、コ川記念財団の所蔵品を一堂に展示することで、江戸幕府にとって日光が果たした役割や意味を、改めて考えるきっかけとなれば幸いです。
| 三代 家光とその時代 |
| 展示資料名称 | 作者 他 | 数量 |
| 五位鷺図 | 徳川家光 | 一幅 |
| 鳳凰図 | 徳川家光 | 一幅 |
| 横一行「雪月花」 | 徳川家光 | 一幅 |
| 古歌色紙 「きくやいかに」 | 徳川家光 | 一幅 |
| 布袋・叭々鳥(ははちょう)・雉子図 | 狩野尚信 | 三幅 |
三代将軍家光(いえみつ)は、慶長9年(1604)に二代将軍秀忠(ひでただ)の次男として、江戸城西の丸に生まれます。長兄である長丸の早世により、祖父家康の幼名であった竹千代を与えられ、嫡子として養育されました。
元和6年(1620)九月には元服(げんぷく)し、家光と名乗り、その三年後である元和9年(1623)に父秀忠から将軍職を譲り受けます。しかし、秀忠は家康(いえやす)に習い、自らは大御所として家光を後見したため、家光自身が政務に関わることは少なかったようです。
寛永9年(1632)に秀忠が没した後は、将軍としての意思を強く持ち、参勤交代の制度化を代表とする大名統制の強化と秩序の成立、役方を中心とする幕府職制の整備、朝幕関係における将軍権力優位の確認、検地条例や慶安御触書(けいあんのおふれがき)にみられるような農村支配の確定、キリシタン禁令の強化、鎖国(さこく)体制の完成などを行い、秀忠の作った幕藩体制をより強固なものへと作り上げていきました。
また、家光は終生父を超えて祖父である家康を敬愛し、信仰しました。その最大の結晶が、寛永11年(1634)から13年に行われた日光東照宮大造営に見られます。この経費は全て幕府自身が出資し、造営期間中には石灯籠一基すら諸大名から献納させなかったと伝えられています。
聡明英武でありながら、気さくな人柄であったと伝えられる家光は、剣術や水泳を好み、鷹狩りなどにもよく出かけました。また、茶道や和歌・絵画・連歌・俳諧にも興味を示したそうです。
今回の展示では、家光の直筆の書画とともに、二代から三代にわたって仕えた御用絵師(ごようえし)である狩野尚信の画を展示致します。これらの作品を通して、家光の人柄や御用絵師の手腕を見て頂き、その時代の一端を感じていただきたく存じます。
平成21年8月
財団法人 コ 川 記 念 財 団
(財)コ川記念財団 http://www.tokugawa.ne.jp 〒151-0064 東京都渋谷区上原2-35-5-203 TEL03-5790-1110・2620 日光山輪王寺宝物殿(栃木県日光市)と久能山東照宮博物館(静岡県静岡市)の2館で、 コ川記念財団の常設展示を行っています。 機会がありましたら、久能山東照宮へもお出かけ下さい。 |
![]() 久能山 東照宮 博物館 http://www.toshogu.or.jp 〒422-8011 静岡市駿河区根古屋390 TEL054-237-2437 徳川家康の遺品や歴代将軍の甲冑などを展示しています。 【開館時間】 午前9時〜午後5時 【休館日】 年中無休 【交通機関】 東名静岡または清水I.Cより日本平まで約20分 JR静岡駅よりしずてつバス「日本平行き」 【駐 車 場】 日本平駐車場200台を利用(無料) 〔日本平〕よりロープウェイにて5分 久能山東照宮博物館でも、コ川記念財団の常設展示を行っております。 6月27日(土)〜 9月 4日(金) 「徳川家康の肖像画」 9月 5日(土)〜10月30日(金) 「徳川家康の書」 |