【過去の企画展】

【お陰様で好評裡に終了いたしました。】


 第138回企画展 幕末の日光 

平成21年12月10日(木)〜平成22年2月9日(火)

 慶応3年(1867)、大政奉還(たいせいほうかん)により徳川政権から明治政府へと政権が移り、翌年には戊辰戦争(ぼしんせんそう)が勃発、日本は明治維新という大きな変革期を迎えました。その変革は日光にも大きな影響を及ぼしています。

 天海大僧正(てんかいだいそうじょう)亡き後、遺言により後継者を日光山主(にっこうざんしゅ)として天皇家の皇子(親王)より迎える事となります。

 明暦(めいれき)元年(1655)11月、守澄法親王(しゅちょうほうしんのう)が迎えられると、親王の父・後水尾(ごみずのお)天皇により「輪王寺宮(りんのうじのみや)」という称号を賜(たまわ)ります。皇族出身の門跡(もんぜき)はこれより幕末まで13代続くこととなり、歴代着任者は「輪王寺宮」と呼ばれ、総本山である比叡(ひえい)山延暦寺(滋賀)・東叡(とうえい)山寛永寺(東京)・日光山輪王寺の三山を総括しました。

 江戸末期の安政(あんせい)元年(1854)、アメリカを筆頭とした対外的圧迫のもと、日本は日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)を結び開国、安政5年(1858)には日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)を締結しました。この頃の日光山では、異国船の来航により、江戸からの要請を受け世上静謐(せじょうせいひつ)の祈祷が行われており、その後も幾度か国土安穏等の祈祷が行われました。開国後の日本は次第に尊王攘夷(そんのうじょうい)運動が盛んになり、これに対し幕府は公武(こうぶ)合体によって乗り切ろうとしますがうまくいかず、慶応3年(1867)10月、政権を朝廷へと返上しました。

 明治元年(1868)、鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いをきっかけとして戊辰戦争が勃発、旧幕府軍彰義隊(しょうぎたい)は当時の日光山主であった公現(こうげん)法親王を擁(よう)して東叡山へ立て籠もり戦いましたが、最後は旧幕府軍の降伏で争いは幕を閉じました。その後旧幕府側にいたとして公現法親王は京都で謹慎処分となりました。

 明治3年(1870)11月、勅詔(ちょくしょう)により公現法親王は復飾(還俗(げんぞく))され名を北白川能久(きたしらかわよしひさ)と復し、これによって輪王寺宮は断絶しました。その前年、日光山では「輪王寺」号の廃止、旧号「満願寺(まんがんじ)」を名乗る事を余儀なくされ、明治4年(1871)、神仏分離令(しんぶつぶんりれい)により寺社は輪王寺・東照宮(とうしょうぐう)・二荒山(ふたらさん)神社に分離、日光山各御堂の移動も迫らると、現状の景観保存を望む日光町民より移転阻止運動が起こり一時は騒然となりました。

 明治9年(1876)、明治天皇が東北御巡幸に際し当寺へ宿泊され現状をご覧になると、旧観を失う事なうことのないようにと御手元金を下賜(かし)くださり、堂社の破壊を免れました。 明治12年(1879)、幕府という庇護者を失った日光山は民間護持組織である保晃会(ほこうかい)を結成し、名勝保存に貢献します。

 明治16年(1883)、当寺は皇室縁故寺院として「輪王寺門跡(りんのうじもんぜき)」の称号が復活し、平成11年(1999)12月、日光の寺社は世界遺産に認定され、現在に至ります。

 今回の展示では、輪王寺所蔵の文物を通じて、幕末から明治にかけての日光山を紹介してまいります

日光山 輪王寺

展示品のご紹介

※ 予告なく変更する場合があります。


すみのえ えまきすずりばこ
住之江 蒔絵硯箱
重要文化財

 日光山輪王寺蔵


きんりごぞうきょう いえやすこうひゃくごじゅっかいき
禁裏御贈経 家康公百五十回忌

日光山輪王寺蔵


「 漢 詩 」
(勝 海舟・筆)

日光山輪王寺蔵
上記を含め、約60件の什宝を展示しております。
詳しくはお問い合せ下さい。

電話 0288−54−0531

コ川記念財団常設展示
ご あ い さ つ 

〜コ川記念財団 常設展示にあたって〜
コ川宗家 第十八代当主
(財)コ川記念財団   
理事長 コ 川 恒 孝
 江戸幕府開府400年に当たる平成15年(2003)4月に、多くの方々から御支援を頂いて、財団法人コ川記念財団を設立いたしました。

 コ川宗家(将軍家)伝来の歴史資料を保存、管理するとともに調査研究し、公開することを目的として設立した財団の常設展示を、コ川家と関係の深い日光の地でできますことは、大変喜ばしく思います。

 季節ごとにテーマを決めて、日光山輪王寺宝物殿の所蔵品とともに、コ川記念財団の所蔵品を一堂に展示することで、江戸幕府にとって日光が果たした役割や意味を、改めて考えるきっかけとなれば幸いです。

公爵徳川家 家達・家正
 慶応(けいおう)3年(1867)大政奉還後、徳川家は将軍の座から一大名、知藩事(ちはんじ)を経(へ)て華族(かぞく)に列しました。

 徳川家達(いえさと)は文久(ぶんきゅう)3年(1863)7月11日に田安(たやす)家当主徳川慶頼(よしより)の三男として、江戸城内田安邸に生まれます。慶応2年(1866)14代将軍徳川家茂(いえもち)が大坂城で病死した際、家茂は己の後継に家達をとの内意を持っていましたが、当時家達はわずか4歳であったため、実現は叶いませんでした。
 その後、明治元年(1868)に隠居した15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)の後継として、家達は徳川宗家の相続を許され、静岡70万石の藩主となります。その後廃藩となり、家達は明治10年(1877)にイギリスへ留学、明治15年(1982)に帰国し、明治17年(1884)華族令制定に際して最高の公爵を授けられました。
 そして明治23年(1890)の議会開設とともに貴族院議員となり、明治36年(1903)から昭和8年(1933)までの貴族院議長を30年間に渡って在職しました。

 家達の長男である徳川家正(いえまさ)は明治17年(1884)に東京で生まれます。東京帝国大学卒業後、外交官として活躍し、カナダ、トルコの駐在特命全権大使等を歴任します。昭和15年(1940)には貴族院議員となり、昭和21年(1946)に議長を辞任し貴族院の終焉に立ち会いました。

 今回の展示では家達と家正の自筆の書や遺愛(いあい)の品を展示致します。これらの作品を通して、公爵として時代を生きた、家達・家正親子の生涯の一端を感じていただきたく存じます。


平成21年10月

                     財団法人 コ 川 記 念 財 団

 
(財)コ川記念財団
   http://www.tokugawa.ne.jp

   〒151-0064 東京都渋谷区上原2-35-5-203 TEL03-5790-1110・2620

 日光山輪王寺宝物殿(栃木県日光市)と久能山東照宮博物館(静岡県静岡市)の2館で、
 コ川記念財団の常設展示を行っています。

 機会がありましたら、久能山東照宮へもお出かけ下さい。


 久能山 東照宮 博物館
   http://www.toshogu.or.jp

   〒422-8011 静岡市駿河区根古屋390 TEL054-237-2437

     徳川家康の遺品や歴代将軍の甲冑などを展示しています。

   【開館時間】 午前9時〜午後5時  【休館日】 年中無休 

   【交通機関】 東名静岡または清水I.Cより日本平まで約20分
            JR静岡駅よりしずてつバス「日本平行き」

   【駐 車 場】 日本平駐車場200台を利用(無料)
           〔日本平〕よりロープウェイにて5分



   久能山東照宮博物館でも、コ川記念財団の常設展示を行っております。

      6月27日(土) 9月 4日(金)  「徳川家康の肖像画」

      
9月 5日(土)〜10月30日(金)   「徳川家康の書」


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