【過去の特別展】
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江戸と日光 [ 江戸開府400年記念 ]T
『 家 光 公 と 日 光 』 展
平成15年 3月18日(火)〜5月14日(水)
江戸幕府の鎮守、要の地、日光
今年、平成15 年(西暦2003 年)は、江戸に幕府が開かれて400年という年に当たります。江戸幕府にとって、当地日光が果たした役割、意味とはいったい何だったのでしょう。
江戸時代初期、日光には3つの堂舎が建立されました。一つは、徳川家康公が東照大権現(とうしょうだいごんげん)として勧請された東照宮、一つは、徳川家光公の廟所「大猷院(たいゆういん)」、そしてもう一つは、当山第53世門主・天海僧正(てんかいだいそうじょう)の眠る慈眼堂(じげんどう)です。東照宮が祀(まつ)られ、大猷院が建立されると、豊臣秀吉の時代に疲弊した日光は、再び隆盛を極めます。
家光公の祖父であり、徳川幕府の祖である大君家康公は、日光の地に東照大権現[東の空に照り輝く神]となって関八州を護ろうと遺言しています。遺言に従った天海僧正の手によって、徳川家康公は神となりました。
その後、生まれながらの将軍「家光」公が日光に祀られると、徳川家の菩提寺であった増上寺と、江戸幕府の祈祷寺であった寛永寺の役割が変化し、その後、歴代将軍は、およそ平等に両寺に別れて埋葬されるようになります。神君「家康」公は別格として、将軍が菩提寺以外に埋葬されることは、大寺のバランスを崩すことでもありました。それを承知の上、なぜ家光公は日光に祀られることを望んだのでしょう。
日光は、江戸幕府にとって宗教的に最も重要な場所であり、家光公にとっては、政治的な意味と祖父への強い信仰があいまった、特別な地でありました。歴代将軍の中で群を抜いて多い日光社参を行い、政治にも東照大権現の意向を仰いだ家光公。当寺に伝わる数々の品を通し、その信仰心を探り、江戸幕府にとっての日光の意味を見直します。
また、只今、3代将軍徳川家光公廟所大猷院において、「御本尊木造徳川家光公坐像」(ごほんぞん木造とくがわいえみつこうざぞう)の特別公開を行っています。家光公350回忌の折り、修理を行った後この宝物殿にて初めて公開した御像が、本来祀られた場所での初開帳です。生まれながらの将軍、天下泰平の世の象徴である江戸三代将軍家光公のお姿を、ぜひ、大猷院でもご覧下さい。
| おもな展示品 | |
![]() 板絵『家康公・家光公・天海僧正』 (いえやすこう・いえみつこう・てんかいそうじょう) |
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![]() 【重要文化財】 とうしょうごんげんぞう 『東照権現像』 (家光公 霊夢の像) |
![]() しゃかさんしょう 『釈迦三聖』 (大猷院21回忌 掛軸本尊) |
![]() 【重要文化財】 とうしょうごんげんのりと 『東照権現祝詞』 (伝 春日局筆) |
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![]() 【栃木県有形文化財】 ぎょうどうめん ぼさつ 『行道面 菩薩』 |
![]() あおがいずり きょうづくえ・きょうばこ 『青貝摺 経机・経箱』 |
![]() とうしょうぐうさいれいぎょうれつず 『東照宮祭礼行列図』 |
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