【過去の特別展】

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江戸と日光 [ 江戸開府400年記念 ]X
『 江戸時代の信仰 』 展


平成15年11月13日(木)平成16年1月14日(水)

日光とは

 今年、平成15 年(西暦2003 年)は、江戸に幕府が開かれて400年という年に当たります。江戸幕府にとって、当地日光が果たした役割、意味とはいったい何だったのでしょう。
 コ川家康公がこの日光に東照大権現(とうしょうだいごんげん)として祀(まつ)られてから、日光山(にっこうざん)はコ川家及びコ川幕府の宗教的霊地として大いに栄えました。家康公・秀忠公・家光公と、コ川政権の礎(いしずえ)を築いた三人の将軍から信任厚かった当山第53世貫主(かんす)天海僧正が日光山中の「慈眼堂(じげんどう)」に、また祖父家康公と天海僧正を心から崇拝し同じ場所に眠ることを遺言された家光公が「大猷院(たいゆういん)」にそれぞれ祀られると、日光山の宗教的な役割は更に深まります。東照宮・大猷院の御忌法要(おんきほうよう)等には諸大名をはじめとした多くの参詣がありましたし、朝廷からの使いである例幣使(れいへいし)や、朝鮮・琉球からの使節も日光に訪れています。日光にその足跡を残している文人や僧侶も多く、芭蕉が句を残し、円空が鉈彫(なたぼ)りの仏像を残しています。

 東照宮鎮座以前より、日光山は山岳信仰を基礎とした「日光三所権現
(にっこうさんじょごんげん)」すなわち日本古来の神「かみ」と大陸から伝えられた仏教の仏「ほとけ」が一体となった神仏習合(しんぶつしゅうごう)の歴史ある聖地として信仰されていました。そこへ天海僧正によって「東照三所権現(とうしょうさんじょごんげん)」が勧請され新たなる信仰が加えられました。東照三所権現とは本地仏を薬師如来とした「東照大権現」と、比叡山の守護神である「山王権現(さんのうごんげん)」そして常行堂(じょうぎょうどう)に祀られる大陸伝来の神「摩多羅神(またらじん)」の三神です。

 天海僧正は日光山を京の都を守る比叡山と同じように位置付け、首都江戸を護る役割を課したのです。将軍・幕府など国の大事に及んでは、日光の地で法要が盛大に営まれ国家安穏が祈られました。また江戸と日光を結ぶ街道も整備されました。それまでは一宗教都市であった日光が、幕府という日本の中心の守護地として大きくクローズアップされるようになったのです。日光を訪れる人の数はそれまでに加えて更に圧倒的に多くなり、土産物としての山内絵図などが作られるようにもなりました。

 強大な将軍と幕府の後ろ盾のもと、一大霊場として再び花開いた江戸時代の日光。今回からはコ川記念財団からの寄託品を加え、江戸時代の日光で繰り広げられた信仰の数々をご紹介いたします。

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