
| こん ごう ざくら 金 剛 桜 国指定 天然記念物 |
| ご紹介 |
日光山 総本堂(三仏堂)前庭で満開の「金剛桜」
(2002年 4月19日 撮影)
例年の開花は、4月20日ころ
満開は4月28日前後です
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金剛桜は、三仏堂の前庭にありますので、
拝観時間内なら、いつでもご覧になることが出来ます。
拝観券は必要ありません
「金剛桜」の概要
■ 天然記念物指定:昭和11年12月16日
■ 学名:Prunus mutabilis Miyos,f Kongo Miyos.
黄芽、白花大輪の山桜で花香が強く、樹齢は約500年。地際より数本の支幹に分かれ、特異の樹形をなし、その基部の周囲は約5.7mに及ぶ。繖房状に3〜4花を着け、花茎は約3.8?で、極めて大輪。
花弁は円形で長さ約1.7?。巾は約1.6?で、花弁の縁は重なりあっている。明治年間、当寺門跡ェ厚大僧正が移植せられたもので、大僧正の諡号、金剛心院に因んで命名されたもの。
昭和11年5月10日三好理学博士の調査により、山桜の勝れた突然変異種に属し、加うるに樹形の著しきにより名木として指定を受く。
(三仏堂前「説明看板」の記載による)
■ 名前の由来 ■
今を去る120年前(明治14年・1881)、日光山の総本堂である大伽藍「三仏堂」は、明治政府の神仏分離令に従い、新宮(しんぐう)の境内地(現在の二荒山神社)より現在地への移築を余儀なくされました。時の門跡「彦坂 ェ厚(じんこう)」大僧正は、三仏堂の新たな境内地にふさわしい景観を整えようと、隣接境内(御霊殿・ごれいでん)に生える山桜の大木を移植されました。当時すでに推定樹齢400年といわれる老木の移植でしたから、すぐに枯れてしまうのではないかと周囲の心配は大変なものでした。そこで大僧正は毎日この樹の下に来てはお経を唱えたり、養生に努めました。その祈りと努力が天に通じ、新たに4本の幹が根元から生え出し、以前にも増して枝葉が繁茂するようになったのです。明治31年(1898)7月、大僧正は亡くなられ「金剛心院大僧正ェ厚大和尚」という諡(おくりな・生前の偉業を讃えて付けられる名前)がつけられました。そして大僧正ゆかりのこの桜は、いつしか「金剛桜」と呼ばれるようになったということです。
■ 樹勢回復の経緯 ■
昭和11年(1936)、金剛桜は文部省嘱託の三好理学博士の調査により、山桜の優れた突然変異種であり、美しい容姿を伴った名木として国指定の天然記念物に指定されました。当時は三仏堂の石段下まで枝が広がる大木でしたが、昭和30年代に入り、樹勢の衰退が見られたため、昭和39年(1964)から同41年(1966)の3ヶ年にわたり一度目の樹勢回復治療が施されました。その35年後、平成10年(1998)から平成12年(2000)かけて二度目の本格的な樹勢回復治療が施されて現在に至っています。すでに2000年春には写真の通り、例年になく多くの花房がついて多くの参拝者の心を和ませてくれました。金剛心院大僧正の遺徳を偲ぶとともに、金剛桜が往年の勢いを取り戻してくれるものと関係者一同大変よろこび、かつまた期待しております。
■ 樹勢回復の今後 ■
平成10〜12年の治療の内容は、樹木自身の生命力を高めるための土壌改良を主な目的としています。今後2年間くらい経過を見て、将来的には腐朽の進行を防ぐための外科的治療を施したいと希望しております。
■ 金剛桜の沿革 ■
| 和 暦 | 西暦 | 記 事 |
| 明治14年 | 1881 | 輪王寺第73世門跡彦坂ェ厚大僧正、御霊殿境内より現在地に移植 |
| 明治31年 | 1898 | 彦坂門跡遷化(65歳)、金剛心院の法名より金剛桜と命名 |
| 昭和11年 | 1936 | 12月16日、文部省より天然記念物指定(文部省 第367号) |
| 昭和39年〜 | 1964 | 3ヶ年にわたる樹勢回復治療を開始 宇都宮大学農学部 鈴木丙馬 先生の診断による |
| 平成 6年 | 1994 | 6月、日光市教育委員会により日光市文化財樹木総合診断調査が行われ、『老齢化し一部に活力を残すも、衰退も目に付くため、早急に手当が必要』と指摘される |
| 平成 9年 | 1997 | 11月、栃木県樹木病院 樹木医 吉澤光三 先生 ならびに宇都宮大学教授 農学博士 谷本丈夫 先生 らによりに樹木診断 |
| 平成10年 | 1998 | 10月、3ヶ年計画で樹勢回復治療開始 |
| 平成11年 | 1999 | 10月、第2回治療 |
| 平成12年 | 2000 | 11月、第3回治療 |
お問い合せ
日光山 輪王寺 教化部(きょうかぶ)
tel 0288-54-0531 fax 0288-54-0534

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