日光山 総本堂
 
三仏堂(さんぶつどう)

【重要文化財 世界遺産】

輪王寺の本堂は日光山随一、東日本では最も大きな木造の建物で、
平安時代に創建された、全国でも数少ない天台密教形式のお堂です。
現在の建物は、正保2(1645)年、
徳川三代将軍「家光」公によって建て替えられました。

三仏堂のご本尊様 三仏堂の内陣には、
日光三社権現本地仏
(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)という三体の大仏さま(高さ8.5メートル)と、

東照三社権現本地仏
(薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来)という掛仏の、

2組の三尊仏がご本尊さまとしてお祀りされています。

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日光の今昔

明治の頃から日光は輪王寺・東照宮・二荒山神社の三カ所が参詣所とされ、それぞれの境内は、いつも賑わっています。しかし、それ以前は「日光山」としてひとつに包括された関東の一大霊山だったのです。

奈良時代の末、勝道上人によって日光山は開かれました。四本龍寺が建てられ、日光
(二荒)権現もまつられます。

鎌倉時代には将軍家の帰依著しく、鎌倉将軍の護持僧として仕える僧侶が輩出します。この頃には神仏習合が進展し、三山(男体山・女峰山・太郎山)三仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)山社(新宮・滝尾・本宮)を同一視する考えが整い、山岳修行修験道(山伏/やまぶし)が盛んになります。

室町時代には、所領十八万石、500におよぶ僧坊が建ちならび、その隆盛を極めます。

江戸時代、天海大僧正
(慈眼大師/じげんだいし)が住職となり、山王一実神道(天台宗)の教えで「家康公」を東照大権現として日光山に迎えまつります。「輪王寺(りんのうじ)」の称号が天皇家から勅許され、さらに慈眼大師(天海大僧正)・三代将軍「家光」公が新たにまつられ、「日光門主」と呼ばれる輪王寺宮法親王(皇族出身の僧侶)が住し、宗門を管領することになりました。法親王は14代を数え、幕末に及びました。

明治になり、神仏分離の荒波を越えて現在の「輪王寺
(りんのうじ)」があるのです。


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