お知らせ(詳細)
輪王寺 春の行事と寺宝
日光山輪王寺宝物殿 所蔵品展
期間 | 平成31年2月15日(金)〜4月9日(火) |
宝物殿 | 宝物殿の詳細はこちらから |
輪王寺の春は修正会をはじめとする数々の正月行事に始まり、2月の節分会を経て、強飯式、そして徳川家光公を祀る大猷院殿御祥忌へと続きます。なかでも大きな器にさながら小山の如くに盛ったご飯などを強いる強飯式は特に広く知れわたる行事です。
強飯式は、山岳修行の行者が日光三所権現に捧げたお供え物を持ち帰り里の人びとに分かち与えたことが起源とされています。現在では毎年4月2日に三仏堂で行われますが、江戸時代後期には、浄土院や大楽院、あるいは日光三所権現の一である瀧尾山などでも行われていました。
そのころの日光の様子は、当時数多く出版されていた絵図や旅行案内から伺えます。輪王寺が所蔵する3.3mを超える横長の絵図は、記載された幕閣の名前から、天保14年(1842)の徳川家慶公による日光参詣にまつわる絵図であることがわかりました。絵図に描かれた日光山内の院坊は、日光参詣に供奉した大名たちの宿舎でした。そして、将軍の宿所になった「御旅館」(旧本坊)があったのが宝物殿が建つこの場所なのです。
まだ身を切るような寒さも残りますが、日を追うごとに春の息吹が感じられる季節でもあります。行事に集う人びとで賑わうこの時期、輪王寺宮門跡や将軍たちも眺めたであろう庭園を楽しみながら、ひとときを過ごしていただければ幸いです。
【主な展示品】
☆国宝 ◎重要文化財 ○栃木県指定文化財
☆大般涅槃経集解 第22巻 1巻 | 平安時代 |
◎鋳銅半肉千手観音像 1面 | 平安時代 |
強飯図(狩野元信筆) 1幅 | 江戸時代 |
岩に小鳥図(2代将軍秀忠公筆) 1幅 | 江戸時代 |
小鳥図(8代将軍家宣公筆) 1幅 | 江戸時代 |
月雁之図(12代将軍家慶公筆) 1蓋 | 江戸時代 |
日光山絵図 1巻 | 江戸時代 |
天保14年日光参詣史料 4点 | 天保14年 |
○朝鮮通信使奉納 敔1基 | 朝鮮・李朝(17世紀) |
十二代将軍家慶とその時代
公益財団法人德川記念財団常設展示
*日光山輪王寺宝物殿は德川記念財団の特別協力館です。
十二代将軍家慶とその時代
12代徳川将軍家慶は、寛政5年(1793)5月14日に11代将軍家斉の次男として江戸城本丸で誕生しました。兄の竹千代が同年に夭折し、家慶が将軍世嗣として養育されました。天保8年(1837)、家慶は45歳で家斉から将軍職を譲り受けます。実際には家斉が大御所として実権を握る時期が続きました。
家慶が将軍に就任した当時、国内では長年の凶作の影響で、大坂の「大塩平八郎の乱」をはじめとした一揆・打ちこわしが各地で発生しました。さらに老中・水野忠邦の主導による倹約令と風俗取締りを強化した天保の改革が進められます。また浦賀沖に来航したアメリカ船モリソン号を砲撃で打ち払い、次第に国内情勢や外交への緊張感が高まっていきました。
一方で天保14年(1843)には、日光東照宮の初代将軍家康の霊廟を参詣する「日光社参」を10代将軍家治以降67年ぶりに催行しました。社参には莫大な人馬と経費が投じられ、江戸から街道経由で日光を往復する行列は幕府の威信を示しました。この際、家慶が日光山内から鉢石宿まで徒歩で移動したとの記録も残されています。
この展示では、幕末に向かって緊迫する内憂外患の時代を生きた12代将軍徳川家慶とその夫人・浄観院喬子ゆかりの品々を、德川記念財団の所蔵品よりご紹介いたします。
平成31年2月
公益財団法人 德 川 記 念 財 団
〒151-0065 東京都渋谷区大山町37-6
TEL03-5790-1110・2620
德川記念財団ホームページ http://www.tokugawa.ne.jp
久能山東照宮博物館
〒422-8011 静岡市駿河区根古屋390
TEL 054-237-2437
久能山東照宮ホームページ http://www.toshogu.or.jp
交通機関 | 東名静岡または清水I.Cより日本平まで約20分/JR静岡駅より しずてつバス「日本平行き」 |
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駐車場 | 日本平駐車場200台を利用(無料) 〔日本平〕よりロープウェイにて5分 |
常設展 | 「殿の将軍 徳川慶喜」 平成31年2月7日(木)~4月9日(火) |
次回展示予告
〔日光山輪王寺 宝物殿〕「皇女和宮が愛した名品」
平成31年4月11日(木)~6月11日(火)
※展示内容・展示期間は、予告なく変更する場合があります。