日光山輪王寺

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法話

手  放  す

手  放  す

 

輪王寺 総務部長
鈴木常元

 


 人生は『何を手に入れたか』ではなく、『何を手放したか』『何を手放せたか』なのだ。そう思う。
 自分の手の中を見てみる。いかに多くの物を今の自分は持っていることか!なんと多くの物に恵まれていることか!
 自分の手の中にない物を数えてみる。欲しいけれど持っていない物が次々と浮かんでくる。もしかしたら自分は何も持っていないんじゃないか?自分には何もないんじゃないか?
 有り余るほどの物が手の中にあるのに、ない物ばかりを探してしまう。ない物ばかり数えて、「それさえあれば幸せになれるのに、それがない自分は不幸なのだ」と思い込み、寝ても覚めてもそのことばかり考えてしまう。手の中にはこんなにもたくさんの物が溢れているというのに。
 人は満足できない。どれだけ多くの物を手に入れても、「もっと、もっと」と、決して満足することがない。その渇きに似た欲望には終わりがない。特に、地位とか名誉とか権力とか財産とか、幻を求める欲は決して満たされることがない。
 何かを新しく手にしようとするならば、手の中にあるどれかを手放さなければ、この小さな手ではそんなにたくさんの物を持ちきれない。何でもかんでも持つことなんてできない。
 『手に入れる』ことから、『手放す』ことへ。
 我が手の中にある恵みに改めて気づき、それを愛おしみ、何もかも持とうとせず、欲をひとつひとつ手放してゆくことはできないだろうか?
 苦しみや悲しみを手放すことはできないけれど。
 もし、この世界から戦争や災害や病気や飢えや犯罪やいじめが消え去ったとしても、涙の止まらない夜はやってくる。人の心から苦しみは消えない。悲しみの霧が晴れることはない。苦しみや悲しみを手放そうと足掻けば、更に巨大な悲しみや苦しみが次々と襲ってくる。苦しみや悲しみは去らない。
 でも、恨みや憎しみは手放せないか?余計な物や、自分の人生にとって大切だと錯覚している物を手放して、手放して、そうして終いには恨みや憎しみまでをも手放せたら、その人生は良い人生であるに違いない。
恨みや憎しみを生きる原動力にしているような人もいることはいるが、恨みや憎しみを手放すことができれば、確実に人生の重荷が少なくなるはずだ。
 お釈迦様は真理に目覚められた。自由になった。
 それは、何かを『手に入れた』のではなく、何かを『手放せた』ということ。
だと思う。そのはずだ。

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