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徳川家光公について
徳川家光公について
家光公は慶長9年(1604) 7月17日,江戸に生まれました。家光公は祖父の徳川家康公を深く敬愛していました。幼い家光公が病の床に伏せていた時,祖父が調合した薬によってぴたりと直ったこと,体調の悪い折に家康公が夢枕に立つと翌朝にはすっかり回復していたことなど,家光公は祖父が自身を護ってくれると信じていました。また家康公の御忌日とご自身の誕生の日がともに17日であることを意識し,自らを家康公の分身であると信じていたともいわれています。
寛永2年(1623),家光公は将軍職に任ぜられると,寛永5年の東照社十三回忌から慶安元年(1648)の三十三回忌まで,家康公の年忌法要に精力的に取り組みました。特に寛永13年の二十一回忌法要に備えて東照宮を大造替し,豪華絢爛な彫刻を特徴とした社殿等を建立しました。
慶安4年(1651)4月20日,家光公は四十代の若さで世を去りました。遺言にしたがって,墓所は敬愛する祖父の眠る日光東照宮近くに造営されました。家光公は,自分の廟所は仏式で,荘厳は決して東照宮のそれを超えないようにと厳しく命じたと伝えられています。きらびやかな彩色に黄金色が映える東照宮に対して,漆黒をベースに金色の錺金具が光る大猷院は,今も落ち着いた気品ある装飾を特徴としています。