お知らせ

2025年07月01日法話

守破離

護摩堂執行 柴田 昌典

 

 

皆様は“守破離”という言葉を聞いたことがありますか?

茶道や武道、古典芸能等様々な分野で使われる修行の段階を表す言葉です。

私が初めて聞いたのは高校生の頃、歌舞伎の特集をしていたテレビ番組でした。役者さんが「この世界には『守破離』という言葉があり、段階を三つ進めていかないとお師匠さんに親孝行にならないつもりで、いま必死に『破』になろうとあがいている」という話をしていました。

何気なく、ただ流し見していた番組でここまで頭と心に言葉が残ることに強い衝撃を受け、急いで調べた記憶が未だに昨日のように覚えています。

 さてこの“守破離”とは禅の言葉とか、仏教語の「習絶真」が基になったとか、世阿弥の「風姿花伝」に出てきたとか、千利休の「利休道歌」のひとつにあるとか、江戸時代の歌人で川上不白が口にしたとか、と言った小難しいウンチク話をしたい訳ではありません。

 この言葉それぞれが持つ意味を、世界的な苦難や災害を体感したこの時代だからこそ、もう一度噛み締めていただきたいと思いました。

 『守』とは、まず決められた通りの動き、つまり型を忠実に守り繰り返す段階を表します。

 『破』とは、「守」で学んだ基本に、自分なりの要素を加え、創造性を養う段階を表します。

 『離』とは、形にとらわれない自由な境地に至り、師のもとを離れる独創性を追求する段階を表します。

 私自身、このたった数か月で住職になり、輪王寺でも由緒ある「延年の舞」の舞衆を務めさせていただいたり、10年ぶりに護摩堂に戻り護摩祈願と改めて向き合ったりと、自身を取り巻く環境が大きく一変しました。ただどのタイミングでも師でもある先代の住職の背を思い出し・追いかけ、また今までの諸先輩方の受け継いできた思いに触れ、いままで“わかった気になっていた”自分に気付かされ、『守』り伝えていくことの重さを知り、いま自分が何を成し・どうしていくか深く考えさせられました。

 情報もスピードもせわしない昨今、ぜひ皆様も一旦立ち止まって自分の『守破離』を見つめなおしてみてください。

 

 

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