同事協力
輪王寺附属日光幼稚園園長 関口純一
私のお勤めさせていただいている日光幼稚園は、日本仏教保育協会の定める毎月の仏教の言葉、「徳目」を子供たちの教育に反映させています。10月の言葉は『同事協力』(どうじきょうりょく)です。この言葉を、この法話を読んでくださる皆様にもご紹介したいと思います。
さて、『同事協力』を「同事」と「協力」の二つに分けて考えてみましょう。まず間違えやすいのは、「同時」ではなく「同事」であるということです。「同事」とは、仏教では悟りを開くための修行のひとつを言います。「協力」とは、目的を達成するために他者と力を合わせていくことです。経典には「同じことを同じ姿でともに成し遂げる」行いの中に他者との関係が築かれ、そこから仏の教えが伝わり広がる、そのような場作りが菩薩の修行だと記されています。 なんとなく分かったような、分からないような感じになったところで、ここからは「同事」をもう少し詳しく見ていくことにしましょう。「協力」のほうは、私たちが普段使っている言葉通りで良いような気がします。
仏様の教えに従って、物事をありのままに見ていこうと実践する者を菩薩と呼びます。もともと「同事」は、この菩薩が行う修行のひとつなのです。これを四摂事(ししょうじ)と言います。その内容は、①布施(財産や法を施すこと)、②愛語(優しい言葉をかけること)、③利行(他者に利益を与えること)、④同事(他者と同化し、共に事をなすこと)、の4つとなります。④の「同事」の説明に他者と同化し、とあります。私はこれがとても大切なことと考えます。同化するとは、相手の事の次第にあわせるということ。つまり相手の世界に自分が入っていく行為です。もっと分かりやすく言うと、相手の状況や心情を理解し、相手の立場になって物事を考える、ということになるでしょうか。相手を自分に寄せるのではなく、自分が相手に歩み寄る行為です。言うのは簡単ですが、これがなかなかに実践するのが難しい。なぜなら、私たちはなによりまず、自分が1番大切だと考えるからです。
さて、ここまで話しを進めてきて、私はやはり伝教大師の言葉を思い出します。「忘己利他」己を忘れて、他を利するは慈悲の極みなり。こどもたちに限らず、これから私たちが生きていく世界はAIやネットの発達に伴って、かつて人類が経験したことのないスピードで、様々な価値観が生まれては試され、そして消えていく時代になると思います。世の中を見渡せば、今だけ、自分だけと、お互いに脚をひっぱりあい、SNSの世界を覗けば、匿名性の高さ故か、歩み寄る余地の全くない意見同士がぶつかりあい炎上するといった分断が、数限りなく見受けられます。そのような中で、こどもたちが、そして私たちが、迷うことなく力強く生き抜いていくために、いかにバランス良く他者のことを思いやれるか、つまりは一人一人の中に筋の通った『同事協力』の精神が必要になると考えています。
