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2025年11月01日法話

法話

本堂執行 荻原 貞宣

突然ですが、皆様は掃除は好きですか?

日光はこの時期になりますと、落葉の季節となります。たくさんの落ち葉を毎日、毎日掃除する日々でございます。    さすがにしんどいなぁ~きついな~と思いますが、実は掃除で悟(さと)り(世の中の真理を知ること)を開いた人がいるのです。今回はその方のお話をしたいと思います。 

昔のインドのお話です。主人公はお釈迦さまの弟子のシュリハンドクという名前のお坊さんです。この方は、物覚えが悪くて、朝聞いたことも夜になると忘れてしまう。その上、自分の名前も覚えられなくて、背中に自分の名前を書いてもらい、人に名前を聞かれると、自分の背中を見せて自分の名前を教えるほどでした。ですから他の弟子達からいつも馬鹿にされておりました。彼はそういう自分が情けなくなって、お釈迦さまのところへ行き、「私はもうお坊さんをやめたいのです」と相談をしました。
するとお釈迦さまは、「何にも心配はいらないよ」と言って、彼に一本のホウキを持たせて「きれいにしよう」という言葉だけを教えたのです。
シュリハンドクはそれから何年も、その言葉だけを繰り返しながら掃除を続けました。すると今まで気づかなかったところにも、ゴミやホコリがあることに気づきました。シュリハンドクはまた、それから何年もその言葉だけを繰り返しながら掃除をし続けました。ある日、いつものように庭を掃いていると、お釈迦さんが「ずいぶんきれいになったね。だけど、掃除していないところがあるよ」と声をかけたのです。
シュリハンドクは不思議に思い「どこですか」と尋ねましたが、お釈迦さまは教えてはくれません。「はて、どこだろうなあ?」と思いながら、それからもずっと「きれいにしよう」と言いながら掃除を続けました。数年たったある日、シュリハンドクは自分が掃いた道にヒラヒラと葉が落ちていく姿を見ました。そして、はたと気がついたのです。
「人の心も庭の掃除と同じではないのか」と・・・それからシュリハンドクは自分の心もきれいにしようと掃除にはげみ大変立派なお坊さんになりました。
最初は掃き方も下手で、わけも分からずに一生懸命に掃いているわけです。しかし、そのうちに掃除にも慣れてきて「あの隅っこが汚れているぞ」と気づいたり、掃いてもしばらくすると、また汚れてくることや、また、「きれいに掃けたなあ」と思っても、光りが差し込んでくると空気中にいっぱいほこりが浮かんでいるのが見えると、何とまあ、いくら掃いても、掃いてもきれいにならないものだなあ…。あっ!自分の心もそうじゃないのか!!と、気づくのです。心にも庭にも落ち葉は、あとからあとから降り積もり日々掃除しなければなりません。心の落ち葉とは偏った悪い欲のことです。つまり掃除は自分の心をみつめなおすことにつながるのです。

とは言うものの、やはり掃除は本当に大変でございます。喉が渇いて、「おーいお茶頂戴」というと、縁側にお盆が置かれてまして、お茶が置かれてないのですね。ですが、近づいてよーく見ると置かれているんです。150円が…日々修行でございます。

合掌

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