修験霊場日光山と山伏
2024年5月30日(木)から 7月 24日(水)
下野国東部に生まれ,下野薬師寺で学んだとされる勝道上人は,天平神護2年(766),西の空高くにそびえる日光連山の主峰男体山を目指し,山中の激流を渡った場所に小さな庵を結びました。これが日光山の始まりです。勝道上人と弟子たちはさらなる修行を積み,天応2年(782),3度目にしてようやく男体山登頂の宿願を果たしました。一行は眼下に広がる湖のほとりに降り立ち,神宮寺(中禅寺の前身)を開き,船を仕立てて湖の各所で奇瑞を目にします。こうした,勝道上人と弟子たちによる日光山開創の過程をたどるのがやと呼ばれる禅頂行です。やがて,霊験あらたかな日光の高峰を目指し,全国から山伏たちが修行に集まるようになります。中世には,東国随一の修験霊場として広くその名を知られるようになりました。
江戸時代に入り,徳川家康公のを祀る東照大権現社が日光に勧請されます。日光は徳川家の聖地として大きく変貌を遂げました。その立役者が三代将軍家光公と天海大僧正でした。一方で,古来の山岳信仰にまつわる三峰五禅頂などの行事も変わらずに引きつがれ,山伏たちは強飯式などの行事にもその姿を留めています。
今回は,山岳信仰と徳川家を結びつける寺宝を多く展示しました。山に親しむ機会の多くなるこの季節,古から連綿と続く山岳信仰の遺宝に親しんで頂ければ幸いです。
令和 6年5月
輪王寺宝物殿
【主な展示品】☆国宝 ◎重要文化財 ○栃木県指定 ◇初出陳
◇金銅三葉葵紋付長柄銚子1柄 慶安5年(1652)
○古能面 尉 1面 天正5年(1577)
○狂言面 猿 1面 万治元年(1651)
◎鋳銅半肉千手観音像 1面 平安時代
☆大般涅槃経集解 巻55 1巻 平安時代